女に手を上げるんて以ての外と豪語する理屈っぽい男がこんばんは。あ、理性は弱いです悪しからず。


論理的な癖に自分のこととなるといくらでも傷ついて良いなんていう非論理を発揮する人がいますが、あれは良くないですよ。自分以上に守りたいものが存在するなら、同時に自分も、誰かに守りたいと思われている可能性は考慮しなけりゃならない訳です。

確かにね、人間誰しも他人の人生に侵食して、食い潰して生きてますよ。そのことに気付いてるある意味正しいバランス感覚の持ち主は、それに罪悪感を覚えたり恥じたりして、なるべく人に影響与えない様に、傷つくのは自分だけにして生きようと望みます。


でもね、無理だよそんなの。


エントロピーって言葉を知ってますか。物理学の概念です。
端的に説明するなら、「世の中のものはほっとくとどんどんとっ散らかって汚れてく」ってことです。廃屋をイメージすると解りやすいかも。建材は朽ち、埃は溜まり、風で飛んできた様々なゴミが絡まり。

人間も同じ様なもんです。黙ってても生きてれば人間関係は拡散し、周りはとっ散らかって身動き取りにくくなって。
更に悪いことには、掃除すれば済むってもんでもない。クイックルワイパーでスイスイ♪とか、ドラッグ&ドロップでごみ箱にポイ☆とか出来ないから。
じゃあ死ねばいいのか。俺はそうは思いません。思いませんつーか、それされると周りから人がごっそり消えそうなので、俺としてはそんな死の連鎖はご勘弁願いたい。

人と関わらざるを得ない限り、人と最大限関わって生きてくのが得策な様に思います。関われるだけ人と関わって、使い使われ、必要とし必要とされ、自分か相手とのズレが決定的になった時には軽やかに飛び去ればいい。些かの覚悟が必要ではあるけども、自分の人生を終わらせることが出来るなら簡単なことです。
俺はもう少し色んなものに縛られた生活をするつもりですが、どこかで、いつ誰に飛び去られても構わない覚悟はしているつもりです。


それは人を信じていないってことなのかも知れないけど。


ともかく生きることです。自分が傲慢だと思う人はもっと傲慢に、自分が謙虚だと思う人はもっと謙虚に。





以上、なるべく理屈っぽく、穏便で理性的にお送りしました。こんな私はお嫌いですか?

私は貴方の意見に反対だが、貴方が意見を述べる権利は命がけで守る


とはいえ、表現って大事ですよね。

意見の交換と言うのは自分一人では成立し得ないもので、誰か他者の存在を認め、それを否定する為には、相手を知り相手の意見を認める必要がある。
容認と肯定は異なるし容認のない肯定も否定もコミュニケーションには不適格である。

どっかのプレゼンや会議のセミナーなんかで聞こえそうな使い古された表現だけども、間違ってはいないと思うんですよね。

口に出した言葉をオナニーで終わらせないための配慮。それが出来ないなら黙ってろ、と。少なくともそれを「意見」と言う形で世に出すなら、ね。

とりあえず睡眠はキチンと取っとこうと思った。
電話ならまだしも面と向かっている時にウトウトしながら話聞いたりすんのは礼を失してるなと今更に反省。


タバコの残り香が心地いい部屋で今日も勉強。
この部屋用の布団買おうかなぁ…